鎖国時代に西欧に開かれた唯一の窓口である出島を歩く

投稿した日
更新した日
書いたひと
icon
ひらたけ

江戸時代、日本は海外との交流を制限する「鎖国」を行っていましたが、そんな中でも中国や朝鮮、琉球など一部の限られた国々に対しての窓口が設けられていました。そのうちのひとつであり、鎖国時代に 西欧の国に対して唯一開かれた窓口である「出島」へ行ってきました🏝️


西九州新幹線の終点である長崎駅のあたりからバスに乗車して 10 分ほど。やってきたのは出島の最寄りである出島停留所…ではなく中央橋停留所。すぐ近くには 浜町アーケード という商店街を中心に百貨店や飲食店など多数のお店が集まり、人で賑わう繁華街が広がっています。

長崎駅にて購入した 長崎バス の 1 日乗車券を利用して訪れたのですが、普通にバスを乗り間違えるし、1 日乗車券を利用していても乗車時に整理券は取らないといけない(1 日乗車券が利用できる範囲に制限があるため)ということをバスが出発してから気づいて慌てて運転手さんに声を掛けにいったりと、めちゃくちゃバタバタな状態。乗車したバスの終点である中央橋停留所から出島へは歩いていける距離だったのはラッキーでした。

中央橋停留所の近くには停留所の名前の通り「中央橋」という橋があり、街の中心部ということもあって川の上流にも下流にも数多くの橋が架けられている様子が見られます。中島川を挟んだ対岸、南側には路面電車も走っており、長崎駅や平和公園、新地中華街や大浦天主堂・グラバー園といったエリアを結んでいます。

川に架かるたくさんの橋、路面電車、初めて訪れる場所の街並みと、遠いところまで旅行に来たんだなという気持ちを存分に感じながら川沿いを歩いていくと、見えてきたのが今回の目的地である 出島。

中島川の北側を通る大通りと出島の間には 1 本の立派な橋が架けられており、そこを渡らないと入ることができないというのはイメージ通り。しかしながら北側と東側は川が流れていて、それ以外の部分は普通に道路や市街地によって囲まれており、海に囲まれている島という感じではないのが意外でした。

江戸時代、幕府の命令によって築かれた人工島は海に囲まれた扇形をしていましたが、明治時代以降に周辺の埋め立てが進み、明治 37 年の第 2 期港湾改良工事によってその形を失うこととなりました。坂の街としても知られる長崎において、街の発展のために土地を確保すべく埋め立てをしていったというのは仕方のないことだとは思いますが、とはいえ海に囲まれた出島を想像していたのでちょっぴり残念な気持ち。

長崎市では昭和 26 年度から出島の整備計画に着手しているそうで、将来的には四方に水面を確保し 19 世紀初めの扇形への復元を目指しているのだそう。想像通りの出島の姿が見られる日が来るのが楽しみです。

中島川に架かる出島表門橋を渡り、表門にある受付へ。門のそばにはお侍さんのような格好をした方が立っており、かつての鎖国をしていた時代に出島への出入りを制限していたときのように、人の出入りを見張っているかのようでなんだか雰囲気あるなあと感じました。

出島の通常の入場料は 1,100 円ですが、長崎バスの 1 日乗車券を持っていると 20% の割引があるため 220 円引きの 880 円で入ることが可能。1 日乗車券のお値段が通常 600 円、長崎駅から出島までのバスが片道 190 円なので、これだけで元が取れてしまいます。なんなら今回 tabiwa by WESTER 経由で 1 日乗車券を購入(420 円)したので、めちゃお得。バスに乗り間違えてワタワタした分も取り返せます。

中へと入り、右手側に広がるのが復元ゾーンと呼ばれるエリア。かつての出島に存在していた代表的な建物を復元し、当時の生活や貿易の様子などを紹介する展示がされています。出島内では、特に決められた順路や回り方はないようだったので、少し迷いつつもまずはこちらの復元ゾーンから見ていくことにしました。

道の左右に並ぶ建物は和風とも洋風とも言えそうな、実に絶妙な具合の外観のもの。瓦屋根だし、木造っぽいけれど、ヨーロッパにでもありそうな見た目のランプが取り付けられていたり、鮮やかな緑や青っぽい色で塗られている箇所があったり。なんとも独特な雰囲気の街並みが広がっていました。

その中でも代表的な建物が「カピタン部屋」と呼ばれる建物で、オランダ商館長の事務所や住居として使用されていたものだそう。カピタンという人が住んでいたのかな?と思ったのですがそういうわけではなく、カピタンはポルトガル語の Capitão、英語で言うところの「キャプテン」という意味の言葉だそう。

長崎は、インドや中国などアジア各地に多くの拠点を設けた「連合オランダ東インド会社」の拠点のひとつであり、そこに設けられたオランダ商館のトップ・商館長が利用していたのがこのカピタン部屋というわけです。出島で最も大きな建物で、中では 19 世紀初頭の調度品を中心とした生活再現展示が行われていました。

外観も和風なのか洋風なのかよく分からない感じでしたが、内部も似たような感じ。床は畳なのに壁紙や照明は洋風っぽいし、テーブルや椅子などの調度品はヨーロッパっぽい雰囲気です。

カピタン部屋以外にも多くの建物があり、それぞれの建物内では出島の歴史について写真や模型などを用いて説明した展示がされていたり、日本から世界へと輸出されていた銅の計量と梱包が行われていた様子が展示されていたり、海を埋め立てて築いた出島の護岸石垣についての展示がされていたり。展示の内容が多く、全てをじっくり見ていくのはだいぶ大変です。

全部を見て回ることができるほどの時間と体力がなかったので、なんとなく気になるところをうろうろと巡った後は、復元ゾーンとは反対側、出島の東側へと向かいます。こちら側には「旧出島神学校」や「旧長崎内外クラブ」という建物があり、これらは明治期に建てられたものなのだそう。

旧出島神学校は 1878 年に建てられた、現存する日本最古のキリスト教(プロテスタント)の学校とのこと。旧長崎内外クラブは 1 階部分がレストランになっていて、長崎名物のトルコライスなどを食べることができます。

2 つの建物の向かい側に広がるのは、たくさんの植物が植えられた庭園。こちらはシーボルト里帰り植物園というエリアで、商館医として赴任してきたシーボルトが来日中にオランダに送った植物を再び日本へと里帰りさせて育てているもの。シーボルトは約 260 種類もの植物をオランダに送ったそうです。

出島の北東部分にあるのは「ミニ出島」という、その名前の通り出島を小さいサイズで再現した模型。江戸時代後期の画家だという川原慶賀が描いたとされる「長崎出島之図」を基に 1820 年頃の出島を表しており、縮尺は約 1/15。こうしてみると、かなり多くの建物が復元されているように見えます。


長崎にある出島へ行ってきましたが、歴史の教科書でしか名前を聞いたことのない場所を実際に訪れることができてよかったです。周りが海に囲まれた「島」になっていなかったのは本当に意外でした。帰ってきてから何人かの知り合いに話したところ、全員驚いていました。

最終的には四方が水面に囲まれた扇形の出島が復元される予定とのことなので、そのときはまた見に訪れたいです。次はバスに乗り間違えるとかしないように気をつけないとですね…。